レースの功績
モールトンの良さを認識していただく最もよい方法は実際に手に触れ、乗っていただくことです。ノーマル乗車ポジションで世界最高スピード記録を達成したこの素晴らしいマシンは、重装備を必要とする大陸横断のような大規模な旅行から、通常の通勤、リクリエレーションバイクとしても十分楽しむことができます。
ツーリング
-
Dr Alex Moulton C.B.E., M.A.(Cantab), FEng., R.D.I.
-
Dr Alex Moulton C.B.E., M.A.(Cantab), FEng., R.D.I.
-
モールトン自転車は発売当初から世界で最も優れたツーリングバイシクルとして広く認知されてきました。
特別にデザインされたモールトンバッグを使用することで十分な荷物収納力を有し、低重心とサスペンションの採用により荷物を沢山載せた状態でさえ高速走行時の安定性を確保できます。またすべての荷物の取り外しもすばやく行えます。
非常に強い強度を有する小口径ホイールは通常のホイールに比べ遥かに長い耐久性があるだけでなく、小口径ホイール故、スペアタイヤとスペアチューブに関しても置き場所を取らないというメリットがあります。
分割可能なフレーム構造も極めて便利な特長の一つで、バスや電車、或いはホテルの客室内に運び入れることも簡単です。
モールトン自転車の快適で効率的且つ確かなハンドリングは特に長旅においてその真価を発揮でき、乗る悦びが堪能できます。
大陸横断
-
1979 年 コリン・マーティン氏がF フレームモールトンで英国からオーストラリア大陸まで走破した。
彼はモールトン自転車を「世界で最も優れたツーリングバイシクル」であると絶賛した。
-
-
1984年 オーストラリアをツーリングするロン・シェファード氏。
「私はAM7を手に入れるまでは、1日に100kmほど走れば十分満足していたのんびりしたライダーでした。しかしこの愛すべきマシンは実にレスポンスが良く、思ったように反応してくれるので、オーデックス横断では快適なまま、すぐ走行距離が200kmから400kmに達し、この上もなく壮大な経験をエンジョイできました。」
-
-
1997 年 ケンブリッジ大学の卒業生である、ベン・スティール氏とオリバー・マシュー氏、バズ・ビックス氏の3人はモールトンAPB でゴビ砂漠を横断した。
パフォーマンス
競技会でモールトンが成し遂げたの注目すべき主な業績
-
ライナー(風防カウリング)Ⅰ,Ⅱ&Ⅲ
世界スピード記録
時速51.29マイル(時速82.53km)
200mでの「伴走車なしクラス」のスピード記録をマーク。
200m「アンペースドサイクリング」(通常の乗座姿勢クラス)におけるライナーⅠ(風防カウリング)を使用しての世界記録、時速50.21マイル(80.79km)は1985年9月第11回インターナショナル・ヒューマンパワード・スピードチャンピオンシップにおいてジム・グローバーによりマークされました。
左図のライナーⅡの重量は45ポンド(20.75kg)でライナーⅠより少し軽くなりました。
1986年8月バンクーバーで開催された第12回HPVスピード・チャンピオンシップでジム・グローバーが時速51.29マイル(時速82.53km)の世界最速レコードを樹立し、現在もこの記録は破られていません。今までに100回近く、いろいろな自転車(HPV)がこの記録に挑戦しましたが、時速50マイル(時速80.45km)を超えることができたのはわずか12台程度です。他の乗り物も同じですが、自転車においてもフレーム強度は、そのパフォーマンスを決定する上での需要項目です。水平方向の頑固さは特に重要で、柔なフレームは乗り手のエネルギーを消耗させてしまいます。強固なフレームは正確に車輪を回転させることができ、確実なロードホールディングとコーナーリング安定性に寄与します。
ユニークな形をしたモールトン車のスペースフレームは、細径のパイプを高度な技術により格子状に組合わせ、通常のダイアモンドフレームに比べ、遥かに堅固な強度を持っています。
このフレームの基本設計概念は一通りのフレームサイズで、どのようなサイズの乗り手に対しても対応でき、オープンで且つ乗り易いということです。また男女兼用のステップ・スルー・デザインは事故の原因になり易い、ダイヤモンドフレームの危険なトップチューブを避けることができます。
ライナーⅡの改良型であるライナーⅢはより速く走れるポテンシャルを持っていましたが、天候の影響で、ライナーⅢの持つポテンシャルを完全に発揮されることはありませんでした。
1989年ケベックにて行われた自転車HPVインターナショナル・フェスティバルのテスト走行では時速55マイル(時速88km)を超えるスピード記録をマークし総合優勝を果たしました。
ライナーⅠとⅡはAM7の改良型ですが、ライナーⅢはAM-SPPEDのプロトタイプがベースになっているため重量がより軽くなっています。ユニクラウンのフロントフォークはAM-APBに使用しているものと同様で、ボトムブラケットの高さはリアサスペンションをジャキアップすることで増やしました。この特徴はライナーⅠ、Ⅱと同様で、カウリングの中にチェインホイールが収納されています。
トランスミッションは86歯と82歯のチェインホイールからなり、クロスレシオは9T,10T,11T,12T,でギアレンジは116〜162インチ。
カウリングはニューヨークのダグ・ミリケンにより設計されたもので 、標準のフロント、リアキャリアの取りつけ位置でAMのフレームに固定されています。 カウリングのメインボディは6mm厚のキャンバスボードを芯材としたプラスティックフォームで、Lexanで成形されたクリアパネルを装備しています。トップとボトムパネルの不透明でもかまわない部分は、真空成形された高衝撃にも耐えるポリスチレンでできており、視界を必要とする透明な部分はポリエチレンをモディファイしたものが使われています。
空力的に考えられたホイールディスクは約1000rpmまで回転できるように、正確なホイールバランスがとられました。ライナーⅠ、Ⅱでは標準的なAM-Wolberのタイヤを空気圧120psi(8.43kg/cm2)まで膨らませ、ライナーⅢではMoulton-Wolberスリックタイヤを空気圧140psi(9.84kg/cm2)で使用しました。
-
アメリカ大陸横断レース(RAAM)
1987年と1988年の両年、アメリカのサイクリスト、デーブ・ボグダンは3,100マイル(4,990km)に及ぶアメリカ大陸横断レースに87年にはモールトン・ジュビリー・プロトタイプ、88年にはモールトン・スピード・プロタイプで出場し、世界で最も長く過酷といわれる単独ステージにおいて堂々の完走を果たしました。
3,000マイル(約5,000km)を走破するアメリカ大陸横断レースは世界で最も長く過酷な単独ステージ自転車レースと言われています。
デーブ・ボグダンは1988年にサンフランシスコとワシントンDC間3,073マイル(4,944km)を10日と15時間1分で走りきり、1987年の12回大会にマークした自己記録を17時間以上短縮し、堂々の8位入賞を果たしました。
このレースで彼は1日当たり平均時速12マイル(19.3km)で289マイル(465km)を走りきり、レース中のトータル睡眠時間はわずか26時間という少なさでした。このような厳しい条件下でもゴールインしたときの彼のコンディションはすこぶる良く、ゴールイン時の自筆記録を書くことができた数少ないライダーの1人でした。これはすべてモールトン自転車の優れたフロントサスペンション機構に負う所が大です。
レコード達成記録
1960年代、モールトン自転車は数々の自転車競技会に出場し、成功を治めていました。
F フレーム
- 1962年
- ジョン・ウッドバーンはモールトン「SPEED」にてロンドン、カーディフ間の記録を破る
- 1964年
- ティム・ウッドマンはモールトン「SPEED-4」でカナダを横断
- 1965年
- ヴィック・ニコルソンはモールトン「SPEED-6」で15 のメジャータイムトライアルに勝利する
- 1967年
- ヴィック・ニコルソンはモールトン「SPEED-6] でロンドン、カーディフ間(新ルート)の記録を塗り替える
スペースフレーム
- 1984年
- エルガー・ヴァイバーズはAM7でトロント・クリテリアム大会で優勝する
- 1986年
- エルガー・ヴァイバーズはAM7でトロント・クリテリアム大会で優勝する
- 1987年、1988年
- デェイブ・ボグダンはアメリカ横断3117マイルレース(RAAM)単独ステージにて2度完走を果たす
- 1991年
- ゲイリー・タトレイはミルウォーキー・マイルトラック24時間HPVレースにて優勝する
-
1963・1963年
コベントリーCC キャッチ・オポジション大会でレコード記録樹立
モールトン自転車のハンドリング性能、加速性能、スリップストリーム性能(空力特性)が際立っていたため、特に速さを競うトラック競技会での成功をもたらし、他の追従を許しませんでした。
現在の自転車レースは各種規則により制限されている為、同じタイプの自転車による面白みのない競技になってしまいました。そのためモールトン博士の興味は新レコードの樹立、長距離レース、特に国際的なヒューマンパワービークル(HPV)の競技会等に向けられていきました。
輝かしい業績
-
トロント・クリテリアム大会
1984 年エルガー・ヴァイバーズはモールトンバイクの優れたコーナリング性能の強みを得て、AM7でトロント・クリテリアム大会で優勝しました。
-
アメリカ横断レース
1087年と1988年にデェイブ・ボグダンはAM ジュビリーでアメリカ横断レースに出場して完走を果たしました。1988年における10日と15時間1分という記録は彼自信の持つ以前の記録を17時間以上短縮させたものです。世界で最もタフで長い「単独ステージレース」と言われるだけでなく、人とマシンの双方における究極のレースと言われるこのレースにおいて、完走35人中8位に入賞しました。
-
世界最速レコード
1986年8月29日、バンクーバーで開催された第3回ヒューマン・パワー・ビークル(HPV)科学シンポジュームにおいてモールトンAM7に乗ったジム・グローバーは200mで51.29mph(時速82.53km)を記録し、アンペースドサイクリングの通常の乗座姿勢クラスでの世界記録を樹立しました。
ダグ・ミリケン氏によるカウリングを装備
AM7 ローヘッド -32×10、5ステップブロック、140インチギア
17インチ・モールトンスタンダードタイヤ
空気圧120psi(8.4kg/cm2)